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魂の駆動体 [荒野の素浪人]

キナ臭いのも毎日嗅いでいると慣れてくるもので、
最近の近隣諸国の動きなんて気にもならなくなって久しい。
特に隣国、アメリカ合衆国じゃない方向のほう・・・は、かなりキテいるおばさん大統領が
連日ヒステリーを発祥、いや、発症しっ放しのご様子だが、もう飽きた。

そろそろ違うネタ無いのかよ。

徹底的に無視するか、徹底的にやり合うかしか物事って解決方法は無いと思うが、
中途半端な対応が今の有様という結果を招いていると感じる。

今の日本社会では、どっちも敬遠されて、特に会社で徹底的にやると
見事なまでに冷遇される。

我輩は根が正直で嘘をつけない性分なので、黙っていても表情が発言以上の
効果を及ぼすようで、およそポーカー向きではないな。

結果、今年やっと昇進したが、平均より7年以上遅い。
ま、出世したけりゃ長いものには巻かれて露骨にゴマを擦って、仕事はしないことだ。

出世ってあんまり興味が無い。したく無いといえば嘘になるが、魅力は給料の額面が
大きくなるのと、発言力が強まって仕事がやりやすくなる点からみてしたほうが良いに
決まっている。

1年半前にこの件で上司にキレて、ぼろ糞に言ったところ昇進試験を受けることになり、
今年昇進した次第。言わなきゃ未だに平社員間違いない。7年前に言っておくべきだった。
つまらない上司に当たるとこんなもので、運が無かったとも言えるが、自己主張を仕事の
質ではなく、自己保身に向けるべきだったのかもしれない。
ここ数年の合計で億の単位の利益を引き出したのに、この扱いだ。

まぁ、もう現在の仕事への情熱みたいなのはこの数年で消えてしまったので、
どうでもいいというのが現在の正直な気持ちである。勿論給料分の仕事はやるが、
それ以上の持ち出しをするつもりは無くなった。

どうやら我輩は、どう転んでも浪人のような生き様が似合っているらしい。

以上近況


ところで、昨今の自動車には自動でブレーキを掛けてくれる装置が付いているらしい。
なんでも車線を維持する機能もあるとか無いとかの噂。

これぞ、「自動車」だ。
いっそのこと目的地の設定も自動でやって、地獄でも天国でも好きなところへ案内して
やってはどうかと思ったりもするが、まだ実用化には早いようだ。

現在我輩が所有している自動車の数は約12台あるが・・・約というのはもしかしたら
数え忘れているものがあるかもしれないからだが・・・・
その中で、エアバッグ、ABSが付いている車はクアトロポルテのみだ。
オートマチックトランスミッション車はリーザスパイダー2台だけ。
燃料供給装置が電子制御なのは5台。

後は、純然たる昔ながらの自動車である。すべてが機械式だ。
何をするにも全て人間の意志で操作し、調節を加える必要がある。
懐古趣味といってしまえばそれまでだが、これが実に楽しい。
「嗚呼、我輩は今、自動車なるものを運転しているのだ」
という気持ちにさせられる。

以前から事あるごとに主張しているが、自動車、オートバイ、自転車・・・
楽器やカメラに至るまで、およそ人の意思を反映して動作する機械は全て手足や
目や耳の延長だと考えている。
人間単体では成し遂げられない高度な技や運動能力を得る手段である。

先日出張先で感じたことだが、スマホ弄りしながらダラダラ歩く連中が
如何に多いことか。
何たる有様。人間の能力を減退させてしまう機械とは之如何に。

最近、我輩は自動車に殆ど乗らなくなった。
まぁ、仕方なく乗る場合も多々あるのだが、明らかに免許を取った20数年前より
乗る頻度が減っている。それもここ数年で加速度的に。
通勤ですら自転車に切り替えた。

なんでか。

イライラするのだ。
スマホ弄りしながら車線の中を蛇行して走る車の多いことに。

速度の維持も一定ではなく、理由も無く減速・加速を繰り返す。
周囲なんか全く見ていない。

もはやこの連中には車に乗る意味は無いだろう。
電車の中でスマホ弄りをしていてもさほど迷惑ではないが、車道でされると
迷惑千万である。

こういう連中に限って、「制限速度以内で走っているんだから文句無いはずだ」
とか抜かす。しっかり前見て運転しろなんて言ったところで連中には意味は無い。
しっかりと画面を見ているから無問題だろう。

我輩、技術革新そのものには大賛成だし、製造業に携わっている以上、
そういうものの一端を担っているし、新型のトヨタは欲しいとは思わないが、
カワサキのフラッグシップなら乗ってみたいとちょっとは思う。

だけど、衝突を予知して自動でブレーキを掛ける装置、車線の逸脱を検知して
ステアリングに修正を掛ける装置・・・・
これってスマホ弄りしながらの運転を助長させるためか?

・・・と、勘ぐりたくなる。
安全性の向上を題目にしながら実際は、運転への関与を下げる作用しか与えないであろう。
オートマチックがそうである。クラッチ、シフト操作がなくなった分、余分なことをする
余裕が増えた。ペダルの踏み間違えによる事故も決して無くならないであろう。
クラッチがある車であれば、絶対に起きない事故なのだが。

安全装置として作用させるなら、作動した際に大音量で警報音を出すとか、
強制的に減速あるいは停止させるとかの運転手に対するペナルティを課すべきだ。
機械が介入しないと事故になっていたのだ。
車両の走行を止めるだけの理由にはなるであろう。
恐らくそんな機能をつけるつもりはさらさら無いだろうが。

現状において、もっと運転そのものに集中するべきだ!!!
と、いくら声高に叫んだところでこの流れは変わらないだろう。


もはや、我々旧世代の、道具を道具として扱う連中が公道上でドライブを楽しむ
時代は過ぎ去ったのだ。

我々にもう一度運転を楽しむ時は来るのだろうか?

時代は巡るのだ。やがて、自動車を個人で持つという意義は失われるであろう。
もっと技術革新せよ。
運転手不要の自動車を普及させるのだ。
そうすれば、自動車を所有する意味が無くなり、公共の交通機関で事足りる時代が来る。
僅かに残った自家用車両も判でついたような動きしかしないので予測が楽になる。

そうなったとき、「ながら運転」の絶えた公道を再び我等が楽しむ事ができるようになるのだ。
その世界を見るまで生きているかどうかは怪しいもんだが・・・
神林長平氏の著書「魂の駆動体」の時代は目前なのだ。


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コメント 2

なを

おっと、そういや借りっ放しですな。
by なを (2014-10-25 22:47) 

sato

いえ、アレは進呈致しますよ。ハードカバーを手に入れたので。
by sato (2014-10-25 23:22) 

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