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田舎者 [荒野の素浪人]

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130219-00000001-mai-soci

おー、やれやれ!もっと徹底的にいじめ実行犯を叩きのめせ!吊し上げろ!!!
町の教育委員なんかも同罪だ。もしかしたら実行犯の親かもしれん。

この町はとんでもない田舎だ。田んぼしかない。
知的教育のレベルも低いと推察できる。
ムラ社会を引きずり回して異質な存在を排除するような輩は、
現代社会にそぐわない存在としてキッチリ制裁するべきである。

この連中、社会に出ても同じことをやるだろうし、ここで身に沁みさせるのが
教育というものだ。

教委は「いじめは無い」と断言しているが、証明できるのか?
あると言って被害届が出ているのだ。それをどうして無視するのか。

被害届が出ている以上、いじめはあるものとして調査するべきで、
無いと断言するようでは都合の悪いことを隠滅に走っていると推察できる。

間違いなく綾川町の教委は共犯者である。
実名をあげて、教委メンバーなどという地位は剥奪するべきであろう。
相応しくないのこの上ない。

この親も、教委のメンバーも、恐らくムラ社会の中のローカルルールだけで
やってきたのだろう。この連中も再教育する必要あり。

学校を卒業したら、教育は終わりと思ったら大間違いで、
この連中のように現代社会にそぐわない思想と行動を持ったまま、
町内をうろついている。
ある意味危険人物であるこの連中は、常識をわきまえないまま社会に出てしまった
未完成、もしくは不良品である。

きちんと道徳教育をやり直すべきであろう。
こんな連中を野放しにするな。

ちなみにこの場所は吾輩の住んでいる地域から比較的近い。
県内全域この調子でろうから、この先思いやられる。

ここの出身ではない吾輩も異質分子であるから、他人事ではない。
日頃の過激な言動も、「予防策」の一環で、
「こいつに関わると面倒だ」と思わせておくのも一つの手段で、
あえて過剰反応気味の行動を会社でも、自宅でもとり続けている。

些細なことでも警察を呼び、大騒ぎする。
引っ越して以来、嫌がらせをし続けた近所も大人しくなった。
ひたすら和を重視する姿勢を否定する訳ではないが、そのような行動が
上記のような事例に関しては逆効果で相手がつけあがるのみだ。

断固として戦う。
その為にはどんな犠牲も厭わないという姿勢を見れば、
そこそこ分別がある奴は、「こんな危ない奴に関われるか」と引いていく。
そういう、吾輩を敵視する連中になんと思われようが平気であり、
吾輩は吾輩でそういう連中は蠅以下だと思うことにしているからこれであいこだ。


以前も書いたが、この世界は強いもの勝ちだ。
吾輩は決して好戦的ではないが、やられっぱなしは御免だ。
世界中の歴史を見ても、強者が正義だ。
弱者が勝った例は無い。

また、戦わずして平和を得た例も無い。
インドのある偉いお坊さんは無抵抗主義を貫いたそうだが、それで今はどうか。
中国に対抗できるほどの軍事大国化しつつある。

すぐにいじめや村八分で異質な存在を排除しようとする連中に関わり合いたくはないが、
この地域で生活する以上、否応なく接触する必要がある。
相手にしたくないが、余計な手出しをされないためには相手の土俵で戦って
ぶちのめす必要がある場合も往々にしてあるのだ。

強くあること、それが抑止力になり、平穏な日々を送れる。
その事に気付くべきである。

たとえば北朝鮮に、先進国の論理で言い含めようとして、今まで何か
成功したことがあるか?
中東の石油マネーで欲ボケになったアラブ人相手にアメリカはどういう手段をとったか?

アメリカ人が平和的とは到底思えないが、戦う以外の手段を用いるべきだったとは
思わない。相手を殺す気でいる連中に平和的手段で挑んで勝てる訳が無い。
死んだ方が負けである。

強くあれば人間関係で面倒臭いことは減る。
賢く立ち回ろう。虚勢を張ることだってメリットはあるのだ。
これによって相反するものも多々あるが、酷く居辛い思いで毎日を過ごすくらいなら、
危ない奴と思われても、出世に影響しても、平穏無事に毎日を過ごせるほうを選ぶ。

強くあるといっても、腕力が強い必要性は吾輩には無い。
必要なのは、敵視してくる連中に対する強い意志なのだ。
絶対に負けない、勝つまでやるぞという気概を見せて攻勢に立てば
多くの場合状況は好転する。

うまく負けるという手も無きにしも非ずだが、大抵争いになるのはそういった
駆け引きすら通用しない低レベルな連中なので、気合と力で押し切るべきだ。
低レベルな連中には帝国陸軍のような精神力に頼る攻撃がかなり有効である。

第二次世界大戦で日本が負けたのは、相手のレベルが高かったのでそういう手段は
通用しなかっただけなのだ。この場合、アメリカには上手く負けるべきであり、
結果、歴史はそうなっていると思う。

幼少の頃からいじめられ続けて齢40を超した吾輩が今まで学んだのは、
そういう事実なのだ。



すずちゃん [荒野の素浪人]

2月12日未明、フェレットのすずちゃんが逝ってしまった。
2月10日に6歳の誕生日を迎えたばかりだった。

昨年の春に副腎の腫瘍が大きくなりすぎて、腸を圧迫。
固形物を全く食べられなくなり、痩せ細ってもうダメだと獣医さんに言われていた。
はっきりとは言わないが、好きなものを与えてください。
もう食べることはできないと思います。と言われる。

何とかしてあげたい。
エサは殆ど食べられない。が、水は飲んでいる。
液体なら大丈夫かも。

そこで、粉ミルクを与えてみた。
すごくよく飲んだ。
最初は動物用を与えていたが、すぐにホームセンターの在庫を飲みつくしてしまった。

仕方なく人間用を購入。飲ませてみた。
人間の子供が育つくらいだ。栄養的には問題なかろう。
きっと鼬だってこれで生き延びれるはず。

毎日4回、計量スプーン1杯を30㏄のお湯で溶いて飲ませる。

驚いたことに、夏頃には大分持ち直した。
毛も生えてきた。
尻尾の先の腫瘍も大きくなるのが止まった。


それから10か月。
ここ数日、急に飲む速度が遅くなった。

ハーモニカを吹くと弾かれたように寝床から飛び出して籠によじ登っていたのが
反応がほとんどなくなる。
もぞもぞと顔だけ出してこっちを見つめている。

そっと引っ張り出して膝の上に抱き、小動物用の哺乳瓶で飲ませる。

DSC_0077.jpg

頑張れと強く願う。生きろと強く願っていた。

最後の日、吾輩は久しぶりにバイクに乗って出かけていた。
疲れ切っていたため家族にミルクを頼み、早々に就寝した。

いつもと同じ時間より少し遅く起き、いつもと同じように籠を覗き込む。
下に敷いたタオルの上に倒れていた。
抱き上げると、もう冷たくなりかけていた。

すずちゃんは、いつもと同じ時間に起きて吾輩を待っていたのだろう。

最後に会えなくて、とても残念である。
なぜ、いつもと同じ時間に起きなかったのか。
後悔だけが尾を引く。

すずちゃんは良く頑張った。
家に放置できないので旅行には必ず連れて行った。
南は九州に3回、北は青森まで行った。
昨年の正月は野沢温泉に泊まり、初めての雪に触れた。
今年の正月は京都御所の隣のホテルですごした。
いつも一緒だった。

すずちゃんは、幸せだったろうか。
暗い、うすら寒いリビングで、一人ぼっちで逝ってしまった。


庭の片隅のどんぐりの木の根元に埋葬した。
春には小石を取り除いて花を植えよう。

せめて、これからは花や木が傍にいてくれるように。
私たちが、忘れないように。

PL法 [荒野の素浪人]

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130202-00000043-asahi-soci

この連中も卑劣千万な。
いくら中傷しても手は出されないと高を括っての不埒な悪行三昧。
中傷した生徒の親はどんな教育をしてきたのか。
お里が知れる。

未成年者の犯罪行為については、親が責任を取るべきである。
教育を怠ったのが原因で事件が発生したのだから、管理監督責任がある
両親が監督不行き届きの罪を償うべきで、刑法を適用するのが妥当であると
吾輩は常日頃思っている。
事件を起こせば自分の両親がブタ箱に入り、自分も施設でブタ箱同様生活。
それくらい厳しくすれば、自分の身が危うくなるから放任などしなくなるはずだ。
適切な教育をしなかった結果、他人に多大な不快感および迷惑をかけることに
なるのだからブチ込まれて当然である。

自動車だって整備不良で事故を起こせば管理責任を問われる。
人格形成を失敗した子供についても家庭での教育の責任を追求し、法を適用すべきだ。

吾輩、この案は効果があると考える。
自分の犯した罪を問われるのは諦めもつくが、親族であっても他人の行動の責任を被るのは
我慢できないことが多いと思うからだ。

逆に、自分がやったことじゃないからと自分の管理責任を棚上げにして知らぬ存ぜぬを
押し通す方が罪が重いとも考えている。


昨日、ウチの愚息のピアノの発表会に行ってきた。
ウチのも比較的出来が悪く、じっとしていない。
ゴソゴソ動き回る度に大人しくするように注意した。多分開演までの間に10回は
注意したと思う。
「椅子に座って足をバタバタするな」「話しかけるときは小声で」「走るな」「デレデレするな」
「背筋を伸ばしてしっかり歩け」「静かにしろ」「我慢しろ」その他散々。
10回どころじゃないかもしれない。

これを放置すると、迷惑に思う人もいるはずだ。
少なくとも吾輩は迷惑だと思う。
公共の場所ではマナーを守るという事を幼いうちから叩き込んでおくことが大切であると
考えているのだ。

実際に演奏が始まると、近くの席の子供が延々と特撮戦隊物の話題で盛り上がっている。
両隣はそれぞれの保護者っぽいが、まるで無視である。
よっぽど煩いと文句を言って退場させたかったが、こっちもゼロ歳児を抱えていて
それを大人しくさせるだけで精一杯で、そうこうしているうちに終わってしまった。
非常に不愉快であった。

ピアノ演奏の発表会の場である。
録音もされている。

静かにするように何度もアナウンスされているのにまるで無視。
道徳観念が無いのか、知的レベルが低いのか、いい年こいた大人がこの有様では、
このような場所に来るのは相応しくないであろう。

静かにさせられないなら河川敷でサッカーの観戦でもしているべきである
躾ができないなら保護者失格である。他人に迷惑をかけるので出歩くべきではない。
それ以前に管理もできないのに子供を作ってよいのであろうか?

「他人に不快感を与えない」
これは人だけではなく、すべての動物に当てはまる基本原則だと思う。
不快であるからそれを排除するために攻撃するのだ。
勿論、生活し、行動するからには大なり小なり他人に不快感を与えることになるだろう。
このブログだって、不快に思う輩は沢山居るはずだ。
吾輩の行動だって、標準的なレベルからすると不愉快な部類に入るだろう。

ただ、普段の生活においてできる限り他人に不快感を与えないように努力することは
必要だと思う。
努力することと、努力しないのとでは例え結果が同じだとしても
天地ほどの差があると考えている。

マサイ族に不快を与える者はいないという。
不快=死だからと何かで読んだことがある。
吾輩、マサイ族と仲良くできる自信は無いが、その行動理念は尊敬に値する。
彼らは本物の戦士である。きっと誇り高いのだろう。

教育においては何よりもその事を重要視すべきだ。
どんなに素晴らしい能力を持っていても、普段の行動が愚劣極まるものだったら
そのヒトは人間としての値打ちは無いに等しい。

某柔道指導者が叩かれたのは、その指導の技量ではなく行動であり、
ヒトとしての資質である。

幸いなことに、これは教育である程度のレベルまでは持っていけると考えている。
なので、吾輩、愚息に対して公共場所でのマナーについては厳しい。
もし、騒ぐようであれば即座にピアノの発表会なぞキャンセルして連れ帰るのも辞さない。
演奏なんかより、それをきちんと鑑賞する態度の方が大切だと考えているからだ。
なにより、演奏者に対して失礼ではないか。


産業界ではPL法・製造物責任法というのがあって、製品の欠陥によって不具合が
発生した場合はメーカーがその責をを負うことになっている。
未成年者=製品、保護者=メーカーである。

ヒトにもPL法を適用せよ!



通勤手段2 [荒野の素浪人]

http://bylines.news.yahoo.co.jp/kanekotatsuhito/20130201-00023301/

のっけからリンクで恐縮だが、こんな意見もある。
吾輩思うに、何で暴力がいかんのかというと、「自分がされたら嫌だから」
なのだ。
この辺、日本人は平和ボケしているので自衛の手段を持たない人が多く、
危なくなったら警察呼べとか、危機感が欠落しているような発言をよく聞く。
危害を加えようとしている連中が、警察来るまで待ってくれる訳も無く、
110番しようかどうしようか迷っているうちに、貴重な一秒一秒が失われていくのである。

スポーツ、競技を含む技量向上のための訓練の中に、暴力は許されない。
そこには振るう側が「反撃はされない」ことを前提にやっているからだ。
そんな状況下で信念を持って愛の鞭など振るえる訳がない。
人間なんて、愚かで脆くて安易に流されていくものなのだ。

もし、これが反撃される可能性があればむやみに手を出したりしないだろう。
かなりの高確率で反撃を回避できる状況にあるから手を出すのだ。

卑怯と言わざるを得ない。

先日も指導者に殴られて反撃したら相手が死んじゃったとかいう事件があったが、
どうせ相手は手出しをしないと高を括っているからこういうことになる訳で、
自業自得だと思う。
殴らなければ少なくとも反撃されることは無かった筈である。
また、もしかしたら反撃くらうかもと用心していれば回避できたかもしれない。

暴力を振るうなら、相手が全力を出しても勝てるだけの能力が必要である。

問題は、暴力を振るうことは無くてもそれに対処できるだけの能力は必要というlこと。
自衛隊や核兵器みたいなもので、それが存在するだけで抑止力になる。
誰だって痛いのは嫌なのだ。
また、それを行使するのは愚か者である。
いずれ反撃を食うからだ。

柔道の指導者は、絶対安心だと胡坐をかきつつ暴力を振るったおかげで、メディアに
さらされるという反撃を受けた。この点で同情の余地は無い。

一方で、対処方法も身に付ける必要がある。
無いとやられる一方だ。
吾輩は過去に散々痛い目に遭ったので、不埒な悪行三昧の輩に対しては容赦はしない
コトにしている。それで、たとえ過剰防衛となって罪に問われても自分が死ぬよりマシである。
時々、暴力を振るうくらいなら死んだ方がマシとかいう人もいるが、吾輩は死にたくない。
殴られて痛い思いをするのも嫌である。
更にはやられっぱなしも御免だ。味を占めてリピーターとならないためにも、
きっちり同じ以上の痛みを味わってもらおう。

この世の中、結局は強いもの勝ちで、例え警察を呼んで相手を逮捕できたとしても
微罪にしかならない。ブチ込まれてもすぐに出てきて報復をする可能性もある。
この国では暴力の罪は軽いのだ。司法は犯罪者に対して寛大だ。安心して反撃しよう。
それは暴力教師やいじめ実行犯が逮捕されないことからも明白である。

自分の身は自分で守ろう。

以上挨拶以下本題。


さて、自転車通勤だが利点欠点さまざまである。

利点としては、「健康になれる可能性がある」←微妙な表現だが。
「ガソリン代が軽減できる」「気持ちいいこともある」「物欲が満たされることもある」
「ハイブリッドカーユーザーに対して、貴方はエコロジストとしては
今一つ努力が足りない」と主張できる。
こんな所か。

欠点は
「危険である」「健康を害する可能性が非常に高い」「散財する」「物欲は果てしない」
「大変疲れる」「一日何度もシャワーを浴びる羽目になり、環境負荷が高い」
まぁ、限が無いのでやめておく。

危ないのはどうしようもない。
道路脇を走らざるを得ないし、スマホ弄りながら走ってるDQNは売るほど居るし、
道路は自転車の都合なんか欠片も考えていない構造だし、まぁ、気を付けて
乗るしかない。

雨が降れば濡れるし、路面は滑るし、前は見えないし、夏は暑いし冬は寒い。
頑張ればしんどいし、無理をすれば膝を壊したり、首が痛くなったりする。

ますます使う意味が見えないゾ。

でもね、どんなにしんどくても人間の体ってそれなりにできていて、
辛い状態を気持のいい状態に変換してくれるらしい。
だんだん辛く無くなってくるのだw
ランナーズハイみたいな状態になる。

運が良ければ健康にもなれるし、是非チャレンジして頂きたい。
運が悪ければ死ぬかもしれませんが。

吾輩の経験からすると、車では今まで3度しか事故は無い。
総走行距離は50万キロを超えているから16万キロに一回くらいか。
ところが自転車では3000キロで2回。
1500㎞に一回は車なりバイクなりに接触(撥ねられて)されている。

吾輩の住む地域は交通事故ワーストワンを独走中なので、それも当然か。
他の地域と比べると、明らかに走行速度は遅いのだが、周りを見ようとしない
連中ばかりだ。周りどころか前方すら見ていない。
右左折も妙にモタモタしている。
モタモタしているから突っ込まれる。相手は前を見ていないからだ。
モタモタしている方も、周りを見ずに曲がろうとする。
ぶつからない訳が無い。

吾輩は余所者なので、この状況にうんざりしている。
会社に行く必要が無くなったら、こんな所オサラバだと常日頃から思っているのだ。

それはともかく、自転車は危ない。
それなのになんで乗るかといえば、これは身体の延長なのだ。
手足を極端に高機能化したモノなのだ。

これを使いこなすには日々鍛錬しかない。
いろんな方法はあるが、3本ローラーに乗るのもなんだかなぁ。
週末ライドだけでは話にならないし、やはり毎日やらないと意味が無い。

それで、片道20㎞、途中山岳コースをできるだけ乗るようにしている。

雨の日は本当に危ないので乗らない。
心の底から死の恐怖を感じるのだ。車に対して。

昨日は雨のため休止。
今週末は少し乗ろうかと思っていたら、左手の痺れが再発した。
数年前に車にはねられて首の骨を骨折して以来、時々出るのだが、今回はずっと
左手の小指側半分が痺れっ放し。
キーボードのブラインドタッチができなくなった。

疲れているのかな。少し休まないとダメかなぁ?

もうひとつ。
自転車通勤を始めると、予想外にメンテに手間がかかることが判明。
外装変速なので仕方が無い面もあるのだが、チェーンのクリーニングは200㎞毎に
やらないと大変不愉快だ。
道路は想像以上に汚れていて、200㎞位で自転車は真っ黒けになる。
ワイヤーも頻繁に調整しないと音が出たりする。
タイヤの空気圧に至っては基本毎日。最低でも3日に一回。
バイクや車とは比較にならないほど手間が掛かる。

まぁ、車は毎日洗わなくても平気だが、体の方は毎日風呂に入りたい。
そう考えると体の延長である自転車のメンテナンスを頻繁にする必要があっても
致し方無いかと思っているのである。

これも程度問題で、ママチャリなら気にならなくても、曲がりなりにも
ロードバイクの端くれなので、体に伝わってくる情報量が桁違いに多い。
チェーンリンクの音、タイヤの接地感、ベアリングの音、シフトの操作感、
ブレーキのタッチ、ペダルの回転抵抗、そして速度。
全てが調和しないと高い速度域を維持することは困難だ。
なんたって、エンジンは自分の体だ。
車体の状態ひとつで性能を出し切っているか否か手に取るようにわかる。
神経が繋がっているかのようにダイレクトに感じるのだ。

吾輩が自転車に乗る本当の理由はそこにある。

暖簾に偽りあり [荒野の素浪人]

暴力教師で話題沸騰中の某高校の保護者が部活動再開を要望しているらしい。
まぁ、一律全面禁止(かどうかまでしらないけど)だと、ウチは関係ないのにと
思っている連中も居るだろう。
当然である。吾輩が関係無いのに禁止された当事者だったらそう思うだろう。

しかし、再開を要望する理由がなかなか面白い。
「スポーツで推薦を受けて、大学進学を目指しているので困る」らしい。

ほう、そうなのかぁ。

吾輩の実家近くにも甲子園に行ったとか行かないとかで大騒ぎする高校があって、
そこの野球部は平日朝から夕方まで猛練習を年中やっていた。

はて、学校とはなんぞや?

ウチの近所にあったのは職業訓練所では無かった筈だが?

一応どんな形であれ卒業すれば「高卒」を名乗れる。
でも、日がな一日野球ばかりやってた連中が、高卒を名乗っても良いのであろうか?
学校とは何をするところか、よーく考えて、果たして現状は良いのかを真剣に
考えるべきだと思う。

野球するところなら、野球選手養成所卒業だろう?

納得いかん。
3年間、ロクに授業も受けず、推薦で大学?
大学なめてんの?
高校3年間で会得するはずの知識やらなんやらを蔑にして高校とは呆れる。
(ここはそうではないのかもしれないが)

勿論、スポーツに生きる、人生そういう選択肢もあるだろう。
吾輩が中学校のときの同級生の中には中学卒業後、
家業の漁師を継いだ連中が何人かいた。
恐らく立派に漁師をやって、我々の食卓を彩る一助となっているに違いない。
将来スポーツで生計を立てるというのであれば、
それはそれで結構なことである。
もしかしたらイチローみたいな立派な選手になるかもしれん。
問題は、それが一般の高校でやるべき事かと疑問に思うのだ。

ひょっとしたら吾輩が知らないだけかもしれないが・・・
カリキュラムにスポーツしかない高校や大学があるのだろうか?
もしそうならば、それはもはや高校、大学では無いな。
運動の鍛錬と訓練しかしないならば、それは学校ではなく養成所である。
学ばない場所が学校の訳が無い。
キャンバスはビリーズブートキャンプであり、生徒はビーバップハイスクールである。

ちょっとは勉強もやってるのかもしれないが、近所にあった某高校みたいに
日がな一日グランドでカキンコキンやりながらオーオー叫んでるだけでは、
そこを卒業したところで、普通に勉強して学校を出た人に混ざって
一体何ができるというのか。



会社で吾輩の机の向かいには全然使えない兄ちゃんが座っている。
(個人的にだが、彼が仕事をしているとは絶対認めない)

知能指数が低いのか、何をやらしても満足にできないくせにプライドだけは
吾輩に負けていない。
そういった連中は吾輩の会社のあちこちに居るようで、ちらほら噂を耳にする。
彼は日がな一日野球をやっていた訳では無いようだが、
本当に大学卒業したのか疑問を持つくらい、何も知らない。教えても覚えない。

いま思いつくだけでも羅列しよう。
漢字書けない。算数(数学じゃない!)できない。英語読めない。図面も読めない。
期限守らない。上司の指示を守らない。会社の規則も守らない。分らなくても何も聞かない。
何もできない。何もしない。
仕事は無くてもじっと座ることだけはできて、何もしないまま定時後1時間、2時間と時間は
過ぎてゆき、給料が安いと文句だけは言う。
そんな状態なので何も仕事を任せられない…というか、半年以上前に言いつけた仕事が
まだ終わってない。

その結果、彼は吾輩より一回り近く年下なのに、碌は吾輩と比して4割以上多い!
それを知ったときはあまりのショックで寝込みそうになった。同じ平社員でこの差。
まして、片やアウトプットがゼロ、吾輩は平社員なのに係長の仕事と時々課長代行まで
やらされてこの評価。
(歯に衣を着せず好き勝手言いたい放題言ってるせいが多分にあるが)
自分の不甲斐無さに、だんだん腹が立ってきたゾ。

ひょっとして、某暴力高校はそういう連中を量産しているんじゃないかと、
愚にもつかない疑心暗鬼に陥り、電脳日記に愚痴をぶちまける今日この頃である。

通勤手段 [荒野の素浪人]

吾輩、住んでる地域はド田舎なので、公共交通機関は不便極まりないことが多い。
公共交通機関を使用した場合、行きたい場所までの移動に何度も乗換とか、遠回りを
余儀なくされてしまう。
それに、行きたい場所まで行けないことの方が多い。
近くまでは行けるのだろうが、歩くなり、タクシーに乗るなりをかなりの距離をこなすことになる。
ウチの場合、山の中腹に居住していることもあり、最寄りのバス停まで1kほどある。
たった1kmだが、急勾配の坂道なのだ。
必然的に、ちょっとコンビニに行くにも車に乗るようになる。

ある日、会社での健康診断で、「メタボで即死です」(大袈裟)みたいな診断が出て、
ちょっとは運動することにした。
その時、「何で俺だけ?某所の某氏なんか首が無くて胴体と頭が直接接触してるのに、あれは?」
と聞くと、「彼は検査結果の数値が基準値以内なのであれで正常なんです」
とのコト。

納得いかね~

保健師のおばちゃんに詰め寄ったところで何の解決にもならないので、
できる事からやることにした。

まずは、週末のライフワーク。
ライフなんて大それたものじゃないけど、諸般の理由で農家になってしまったので
家業に勤しむことにする。勿論兼業で。

草刈したり、油圧パワーショベルに乗ったり、軽トラに乗ったり、戦車(動力運搬車)を動かしたり…
って、大して運動していないことに、後日気が付く。

そこで始めたサイクリング。
前に誰かいると追い越さずにいられないせっかちなので、これは丁度良いと始めたが、
簡単にハンガーノックするまで漕いでしまう。
いつも全力じゃないと満足できない自分に内心がっかり。
そうこうしているうちに、体力が付く前に膝が壊れた。
当然乗れない→メタボ加速
結論:自転車は運動不足で体に悪い。

それじゃイカンという事で、毎日ちょっとずつできる通勤を自転車に切り替えることにした。

そうなると、持ってるロードバイクじゃ駐輪場に放置するのはちょっと不安。
もし無くなったら3か月は寝込みそう。
という事で、別の自転車を買うことにしたのが去年の5月。

当然、ロードバイクなんか在庫がある訳も無く、取り寄せると「来年モデルが9月に出るので、
それからオーダーして2013年の春頃には来ると思いますよ…」
冗談じゃない。入門用で最低価格の台湾製ロードバイクをそんなに待てるか。
そこで、クロスバイクに混ざっていたロードバイク風の自転車を買うことにした。
クロモリフレームのそれは、正式には「シクロクロス」というらしい。
ロードバイクでオフロードを走る競技があるそうな。

なんか、ラリーカーみたいでイイかも。

よく見ると、フロントがトリプルで、コンポはロード用が付いている。
インテグラルのレバーはシマノのSORAで、シフトアップは内側のレバー、ダウンはブレーキレバー操作で
これなら吾輩のカンパと操作性が近い。

ちなみに現在のSORAは上位機種と同じ操作になってしまい、ブレーキレバー内側のシフトレバーで
シフトアップする。これはカンパと全く逆なので私は使えない。
ラビットとヴェスパを交互に乗るようなもので、きっと操作を間違える。
吾輩の嗜好としてスクーターは国産派だが、ロードバイクはイタリアン派なのだ。

カンパを組んでしまえばまるっきり問題無いが、予算というのは非情でどうにも融通が効かないものである。

結局、10万そこそこのビアンキを導入した。
台湾製だがイタリアブランドである。

片道20㎞弱。晴れた日は概ねこれで通っている。
夏場の4か月で10㎏体重減!落ちるものだ。
年末になって忙しくなり、出張やらなんやらであまり乗れなくなり、アイドラープーリーが脱落したりして
乗れない日が続き、少しリバウンドして現在マイナス7㎏。

脂質異常は多少改善。肝機能はあまり変化なし。
超高コレステロールの症状は運動して燃やすしかないのか?
食う量を減らせば体重も減るが、持久力が無くなって短時間でハンガーノックを起こすことを確認。
運動を組み合わせるには相応に食う必要はあるようだ。

山の中腹に自宅があるので当初は口もききたくないほど疲れ切っていたが、
慣れとは恐ろしいもので、最近では何とも思わなくなった。
フロントトリプルのインナーローでも喘ぎながら登っていたのが、最近ではミドルの2~3速でも
何とか上がれるようになった。
行きはアウターオンリーで踏んでいける。
ただし、汗はそれなりにかいて、この季節でもTシャツが絞れそうだ。
基礎体力は付いてきたようで、相変わらず風邪はひくものの以前のように寝込むことは無くなった。
気管支炎は相変わらずだが、気持ち症状が軽いような気がする。

自転車って、ちょっとだけ健康になれるかも。
ただ、自転車通勤となると、いっぱい問題もある。
それはまた今度。

社会の暗部を一刀両断!!! [荒野の素浪人]

P8270139.JPG
好き放題書いて垂れ流した昔のHP、諸般の事情でデータ復旧が困難な状況にあって、ブログに移行することにしました。
本当に残したかったコンテンツは、「荒野の素浪人」
ここには良くも悪くも私の本音が詰まっている。
読み返すと、幾つになっても過去の言動は情けなく恥ずかしいという現実。
物心付いた頃より大して変化していない。

恐らく、一生、新しい気持ちの変化と過去への後悔の両輪を引きずってゆくのだろう。

もう、人生の半分以上が過ぎた。
平均寿命だと半分くらい残っている筈だが、持病を考えると残高は
あまり残っていない可能性も高い。

できる事をやろう。できるだけやろう。

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